【ODRピックアップ】20150903 ”誰かのチャレンジ”は止められない
長い御付き合いの先輩エンジニアが、息子さんにアドバイスをしたそうな。もちろん、よかれと思って。自分の失敗を息子にさせたくなくて。当然なる親心。すると、息子さんは、
「あのさぁ。映画の結末を横でしゃべるようなことするなよ。失敗する権利を奪わないでくれよ。どんなことになっても、それはオレの責任でいいんだよ。」
できた息子さん。今はしっかり地に足をつけて海外で飛び回っています。
我が娘達。見ているとハラハラ。後先考えていないように見える行動、言動。甘く考えているのではないか。あー私と同じ失敗をしそうだ。つい口を出したくなります。しかし娘はこういいます。「そのお説教はありがたいけど、私にはあてはまらないかもしれないし、その失敗をどうにかできるかもしれない。やる前に潰さないで。それよりも、失敗しそうになったら相談するから、その時に教えてほしい」
さもありなん。
私も親に同じような指摘をされ、心配をかけ、でも同じような気持ちで、無謀や無理、無茶をしながら、加減を学んできたのだと思います。やってみたから身にしみている。
それでも、現実的に考えると、チャレンジへの環境条件はいろいろと必要です。資金。時間。家族の理解。健康。仲間。。。。
前述の友人の子供たちへのアドバイスや私の懸念は、失敗そのものよりも、チャレンジしようと思ってもできないことがある、それが解ったときの落胆を味わわせるのが忍びないという側面もあります。
実際、私のチャレンジは悉く失敗してきていると自覚しています。失敗して傷つくのがいやで途中であきらめている。そしてそんな気持ちを思い出さないように封印して毎日を過ごしている。そんな気分を味合わせたくない。
それでも、誰かがやろうとしているチャレンジを止めることはできない。止める権利なんぞないのです。