【ODRピックアップ/半蔵門ビジネストーク】20170210 殆どの場合答えは一つじゃない
ある社会的な事件に対して、権威、肩書きのある人や機関が出す初期の声明に引っ張られることは多いけれど、国が異なれば、いろいろな条件や環境も異なり、時期が違えば正解は変わり、視点を遷せば違う風景が見えてくるという話。
1 例えば謝罪。
それは過去から積み上げられて来た力関係を決める手段の違いがある。
勝ち取る文化と譲りあう文化で異なる。
狩猟文化では勝ち続けないと淘汰され、農耕文化では仲良くするために共感が先行し融合できなければ村八分になる。
2 騙されるほうが悪い
実体験。
ある国の企業との紛争解決過程で、
「騙すなんて酷いじゃないか」
と商務官にクレームすると、
「万代さんそれは騙されたとするなら、お気の毒だが我が国では騙されるほうが悪いんだ」
とされてしまう。それが常識の場合もある。善し悪しでなく、そういう国もある。
3 権力の移行の昔話。
国を譲る、諸国なら奪われるしかないから皆殺しに、根絶やしにされるのだろうが、「国譲り」という平和的譲り渡しが伝えられる古代。当時の人々が腰抜けだったのではなく、そいうい文化だったのだろう。
そういう常識があったのだろう。
常識。そういう空気があった。空気に流されるのは昔からだったと推測する。
4 「晴天」=「いい天気」とは限らない。
日本なら「いい天気」というのなら、それは”雲一つない晴れ渡った晴天”。しかし、東南アジアの某国では、”曇り、陽が翳る、涼しい過ごし易い天気”こそ、「いい天気」だといわれます。一年中30度近く有るのが常識なら、そのように思えるかもしれません。
5 「高級紅茶」は、リプトン
高級紅茶といえば、”天然茶葉の作り立て、煎り立て”、日本ならティーパックではなく、その場でブレンドするもののほうが、手間がかかった高級指向というのではないでしょうか。でも、東南アジアでは、
「そんなやり方、ホンモノの茶葉かどうかも疑わしい。」
「品質がいいのは、これ(ティーパッルに入ったリプトン紅茶)」
難民を受け入れないという大統領。すでに受け入れている国ならそれは挙って非難するでしょう。非難できるでしょう。そういう立場にたつことが理にかないます。しかし現時点で受け入れをしていない国ならば、非難するなら我が振り直せが跳ね返ってきます。受け入れる準備がないなら、そんな発言では事態を収拾できない。人権に無頓着な国と言われるかもしれない恥を忍んで、遠回しに、「偉大な国になることを」という苦肉の言い回し。もちろん、”偉大”とは”強く大きい”ではなく「優しく尊敬できる国」だろう。そういうメッセージを読み取りたい。
そして讃えたいと思います。見方によっては非難されるかもしれないようなその発言をしたリーダーを。スタッフたちを。