【ODRピックアップ/半蔵門ビジネストーク】 20170314 "明るく引き蘢れる"時代
ガラケーの頃。
我が娘(長女)は、「大体オマエは勉強もしないで。。。」と、ワナワナしている私の小言を、「はい!。。。はい!!。。。」と聞きながら、ものすごいスピードの親指連打で、ボタンも見ないでメールを打っていました。
次女は、Macbook Airで、ニコニコ生放送で声優の番組を見ながら、携帯でTwitterにログインして、つぶやきをチェックし、さらに横目で見ている「嵐にしやがれ」に、反応して笑います。そして、「勉強は?」と聞こうとしたら、膝の上には宿題のノートを開いていました。
次女が部屋に戻って、机に向かったようなので、「TVを小さくしてあげよう」と言うと、「イヤホンでiPod聴きながらだから大丈夫よ」。
ホントだ。。。
"ながら"の2重、3重奏。
いったいどうなってしまうのでしょう?
しかし、我が母もいいます。
「ウォークマンが出たときは、アンタも耳に突っ込んだまま食事していたわよ。お風呂にも持ち込んだり、学校の行きも帰りも音楽を聴いていたね。タマに机に向かっている時もね。ありゃぁ、勉強してたんかい?」
父親曰く、「オレんときゃぁ、勉強といえば、静かな場所でしたもんだがなぁ。。。」 。。。忘れていました。
私たちも「新人類」と呼ばれた事を。。。
私の時代では、深夜まで起きているのは、「オールナイトニッポン」や「セイヤング」を聴くためで、いつの間にか寝てしまい、気がつくと、もう「走れ歌謡曲」になってしまっている後悔の日々でしたが、今は徹夜でニコニコ生放送を見ながら、コメントを打ち込んでいる時代です。ラジオ番組では数も限られ、同じ番組を多くの人が聴いて、時代を共有していましたが、今や星の数程あるインターネット番組や個人がアップロードした動画を見て楽しむ時代です。
思えば、ソニーのウォークマンから、法則が変わり、"明るく引き蘢れる"時代が始まったのかもしれません。
「ウォークマンが登場するまで、音楽鑑賞は他人と共有する体験だった」
と、ウォークマン誕生20周年の99年にソニー・アメリカのボブ・ニール副社長(当時) は、語ったそうです。
(ニューズウィーク日本版)
そして、この時期を境に、電話が携帯になり、レコードがCDになり、パソコンが普及し、携帯がスマートホンになり、インターネットが普及し、ブロードバンドになり、ネットワークがワイヤレスとなり、音楽プレーヤーが大容量になりました。
誰かと一緒でも、こころの芯は自分の世界へ。
車に乗ってラジオをつけると、専用の周波数に接続された誰かのiPodの音楽が聴こえてきました。