ODRは何かにとって変わらない、選択肢が増えるだけ【半蔵門ビジネス雑談】20180818
当社の社名にあるODR(Onlince Dispute Resolution)は、司法へのアクセスをオンライン技術を活用して、多くの人に司法による正義を実現する手段を提供し、持続的に改善していくことを目的としてつけられている。誰にでも、それぞれに適した手段で司法へのアクセスを提供できるように。誰にでも司法アクセスへの権利を確保するために。
ハードル
司法手続き ー 訴えてやる!!! ー と思った時、どうするだろう?現代ではまずHPを中心としてインターネットを調べるだろうか。法曹関係の知り合い、弁護士の知り合いがいれば連絡をとってみるか。知人がいなければ、法テラスにいくだろうか。電話で受けてくれるのだろうか。メールで受けてくれるだろうか。
https://www.houterasu.or.jp/index.html
メールのあとは適切な相談窓口を紹介してくれるようだ。そのあとは?
やはり、「電話か窓口においでください」となっている。予約はメールでは受け付けないので、電話か窓口にいくことになる。それでも相談したい!と思えばその方法でもいいのだろう。
でも、自分の場合を想像してみると、ここで「それならもういいや。相談やめよう」となってしまいそうだ。外に出向こうと思わないなら司法サービスは受けられないようだ。
厳しくいうなら、この状態だと、司法サービスを受ける権利を果たせない、果たしにくいといえないか。
訴えたい内容は窓口に持って行くのが書面ならば、デジタルで受け付けられるはずだ。質問も電子メールなどでやりとりできる。そしてどうしても話を直接したいという時に来所してもらえばよいのではないか。
さらにいえば、それですら、電子的な手段でいくらでも面談ができるようになってきている。
距離と時間を乗り越え
例えば、TV会議システムはリアルタイムで遠隔地からの司法サービスを実現する。webベースでのODRは非同期でのアクセスで、時差、距離のある両者、あるいは、紛争解決に参加するには時間的な制約のある人への機会を提供する。
外へ出られない人にも司法へのアクセスを提供する。
遠く離れた訴訟地で出向かなくても公平な司法サービスを受けることができる。
費用制約を乗り越え
申し立てハードルを乗り越えたら、本人訴訟か弁護士に依頼するかを考える。自分で訴訟をするには、知識がなければその調査から入ることになる。時間がかかりそうだ。調べるにもまた本を買ったりして費用もかかりそうだ。何より訴訟に勝てるかどうか。相手には専門家がついているかもしれない。やはり弁護士に依頼することになると、費用はどれだけかかるのか。司法手続きを利用するための費用負担を抑えるために、優秀な弁護士を雇うための費用を持たない人を助ける方法はないだろうか。
対人スキル差を乗り越え
環境は大きく変わっている。私が子供のころはTVが普及し始めた頃だった。アポロが月へ着陸する映像を見ていた。メキシコオリンピックを見ていた。電話がやっと家に設置されたが、誰からもかかってこなかったので、祖父が公衆電話からかけてきた。かけた祖父のほうが「どちらさまですか?」と話した。情報はTVから多くやってきたし、そこから様々な知識を得てきた。友達の家にいかなくても電話すれば話ができるようになった。
娘たち世代は、生まれた時には携帯があった。中学生のころから携帯を持っていた。待ち合わせで迷子になることもなく、遅れても連絡できた。だからだろうか。携帯の文字越しのほうが雄弁に話をしてくれる。面談では口数の少ない反抗期の、あるいははにかみ屋の子供もチャットなら心を開いてくれるように見える。もしかすると対人スキルが我々世代とは質が変わっているのかもしれない。
文化的違いを乗り越え
日本には、「裁判沙汰」という言葉がある。英語でいうと、単なる"Court Caset"というだけでなく"He makes it to escalate to a court case." 話し合いで折り合おうとしないで主張ばかりする人で付き合いにくいというニュアンスだろうか。
日本では、あらゆる揉め事は対話によって解決できる、つまり、話し合えば必ず分かり合えると考える傾向が強い。
その前提で、日本では、たとえ自分に正義があっても、裁判になってしまった人、面倒な人、仲良くやれない人、穏便にやれない人、揉め事が好きな人、自分の権利ばかり主張する人というような、あまりいい印象がないと思われている。
だからだろうか。穏便に済まそうとするあまり、悪くもないのに、謝ったり、譲歩したりするし、それを美しいとさえ思う傾向がある。
そして裁判沙汰という言葉と合わせて、裁判にしないということになる。結果、悪いほうが得をしたり、泣き寝入りしてしまうことが多くある。
しかし、この傾向によって、正義を果たそうとする人への司法へのアクセスを閉ざしてしまうのは、ひとつの権利を奪ってしまうものではないだろうかと考える。
ODRが完璧とはいえない
しかし、非同期でいいのだろうか?メールを送ってすぐに返事がなく、なんどもリロードするイライラがある。
相手は、メールを、メッセージを読んだかどうか?いや到着したかどうかもわからない。どこかのwebの大宇宙で迷子になっているのではないだろうか?私のこの苦情は、主張は、クレームはどこをさまよっている!
そもそも、私が苦情を言うべき相手は正しいのか?検索上位に出てきたのは広告費のせいではないのか
SEO対策に大金を投じている紛争解決ODRではないのか?それは私の紛争を扱う正しい相手なのか?
その紛争解決機関をODR機関を正しく公平にレーティングしてくれるところが必要なのではないか?
人によりそうことは、手段を限定する必要はない。
電子機器が苦手なら相談の窓口にきてほしい
面談が苦手ならチャットしてくれ
遠くにいるならTV会議が提供されている
会話のキャッチボールが 苦手なら非同期のwebを使おう。
当面のODRは既存の手順にとってかわるものではない
選択肢の一つになるだけだ。
権利は人間にある。選択する権利は人間のものだ。