スイカに見た値付け技【たまプラビジネス余談放談】20230814
スイカが食べたい季節。しかし都会で買うと高い。ここ横浜でも小玉スイカが2000円近くする。我慢できずに買って食べた。うまい!がそう何個も買えない。実家に帰ったので母が医者にいく待ち時間に近くの道の駅の農産物を物色すると、あったあった。スイカあった。生産者の名前入り、大きいのが2000円、中位が1600円、少し小さめ・・・といっても中型サイズが1000円。流石に安いな。娘たちと合わせて2個購入。
医者も終わって家に戻って出発までくつろぐ。そして帰り際に母が「すいかうちの分も欲しい」と言い出す。仕方なく車で2〜3分のスーパーまで。
ここにもスイカはあったが道の駅で1000円だった中型サイズが1780円。市場に出るとやはりちょっと割高になる。ビジネスの常識。だがここで少しだけ異変に気が付く。以前だと実家周辺ではこのスイカの値段は1780円ではなく1300円くらいだっただろう。つまり安く安くする方向。そうでないと売れないのだ。道の駅で1000円だったサイズは例え市場にでても1700円つまり中位の値段では「高い」と言われてしまう。結果売れない。しかしこれがデフレの入り口。市場に出れば出るほど、本来は中間マージンや手間が入るので値段が上がって相応なのにそれを許さない、安くないと許さない消費者。
自分もかつては安いものを好み、高いと不当に儲けているのではという感覚をいだいていたが、仕事生活で社会の仕組みも知って、”それなりになって(若者のすべて by フジファブリック)”、「ものは適正な価格で売るべきだ」と気がついた。つまりキチンとコストを乗せる、販売店の給料もキチンと乗せる、そうでなければ、サービスという無償重労働、おもてなし・還元という名の低賃金構造は変われない。決して高ければいいといっているのではない。
地方都市で、100円店が重宝されてきた田舎で、キチンとした値付けの兆候・・・これでもまだ適正価格かはわからないが・・・感じられるのは、長い目で見ていい傾向だ。途中、その試みを腰砕けさせる厳しい現実はこれからかもしれないが、うまいスイカを、誰かのブラック労働によるものでなしに、楽しめるのはもうすぐかもしれない。