【読書/映画感想】20170705 四季(春・夏・秋・冬)著:森博嗣
四季といっても、季節のことを描いた小説ではありませんで、天才少女・真賀田四季(マガタ・シキ)の生涯(生涯というのには語弊がある)とその影響を描いた四部作。
しかも、マガタシキに関しては、2006年に刊行されたこの文庫より遥か11年後の2017年に文庫化された最新の「青白く輝く月を見たか」や「すべてがFになる」にもその姿は登場するので、いったい彼女の生涯は閉じたのかどうかも謎に包まれています。
あらすじ的な
春編。
その少女時代。既に天才と認識され、飛び級で13歳でプリンストン大学のマスターとなっていて、それでも彼女にとっては、この世の全てが遅すぎるという超絶頭脳。
夏編。
ある特別な研究のための研究施設をある島に造り、そこでとんでもない事件が勃発する。そして彼女は子供を身ごもる。
秋編。
”事件”のあと行方不明となった四季が残したメッセージに従って犀川助教授と西之園はイタリアにとび、四季の秘密の一部があきらかになる。
冬編。
今後の様々なシリーズに繋がるであろう研究成果の達成?がにおわされ、しかし、小説は難解で謎に包まれてひとまず終わる。。。
冬編には、すでに、ウォーカロンという実体が登場する。これは、のちに「彼女は一人であるくのか」から始まるシリーズへのワンタッチ。それは、その後のテーマとなる、何をもって人間なのか。脳なのか、記憶なのか、考えなのか、体なのか。の、具体的なモデルにもなっている。
こんなに人が死ぬ
マガタシキは、いったい何人殺したのか?具体的な描写以外にも死体が上がってくるが、それをまるで人類の進歩のための必然のように殺して行く。殺人の描写より其の前後の心理描写の冷酷さがあまりにもススっと流れて行くように描写されるが故に「あれ?今の?」とさりげなさ過ぎて、却ってゾゾゾっとする怖さがある。
時空超えすぎ
冬編では、時間も空間も超えてしまっていろいろな事が断片的に、四季の頭脳の早さで短いフレーズで記述されるが、もうついていけない。何が書いてあるのか、アタマの中の映像がついて行けない。もっと若い時に読めばよかった。
どこまでいってしまったのか
観覧車に乗り込んで来た四季を名乗るのは結局ロボット?ウォーカロンだった。ある瞬間に停止してしまったが、その滑らかな動きの描写はロボットとは思えない。そして久慈博士が相対した青い目の女性は四季だったのか?ウォーカロンだったのか?四季だったとしても、そうでなかったとしても、もはやどうでもいいことだろうか?
スッキリしないことに快感を覚える小説だ。