【半蔵門ビジネストーク】20170713 困難はなぜに困難か
困難(ここでいう困難とは、Aさんとの喧嘩とかBさんによる嫌がらせとか個人的なことではなく、組織、会社、仕事などの社会的なこと)なことに直面したときに人はどうするだろう?なんとか解決策を考えようとするだろう。その方法は、
(1)自分のアタマを捻りに捻って解決する道を探すか、
(2)周囲の利害関係者を巻き込んで協力を仰ぐか、
(3)その困難を避ける方向に自分を逃がすか、
(4)直接の困難そのものを消滅させるか。
まずは(1)だ。自分の頭をひねってみる。
そうして試行錯誤してみる。 何度も何度も。 しかしなかなか解決できないだからこそ”困難”という。やがて、 一人では、 自力では無理だと悟り、 周囲の関係者を巻き込み助けを求め、 支援を求める。(2)の施策だ。 実は意外とこれ=頼むこと、巻き込むこと、が苦手な人が多いようだ。 頼むのが悔しいのか、 頼むことで叱られると思うのか、 はたまた頼むこと自体が苦手なのか、 いわゆるコミュ障なのか。。
誰かに頼めず巻き込めず、もう一度、自分でなんとかしてみようと踏ん張る、が、力量不足であるならば解決は見込めない、そしてまた頼もうか逡巡し、どうどうめぐりで、内向きに抱え込んで、自分一人の闇へ落ちて行く。。。相談し巻き込むことで起こるストレスのほうが実は大変なことも多い。頼まれる側では、様子を把握しようと根掘り葉掘りインタビューするだろう。そして、その一部は、後ほどの責任回避の布石として、「なぜこんなことになってしまったのか」と相談者を責めることもある。相談者は、それがわかっている。それがいやだから、誰かに頼り相談することを躊躇し、すぐに(1)に引き返してしまうのだろう。
ここに困難の本当の困難がある。
これには周囲にも責任の一端はあるのではないだろうか。
様子を見ていておかしいと感じなかったのか。なにか頼みたそうにしていなかったのか。うまくいっていないことを、悩んでいるサインを出していなかったのか。ちょっと声をかけてあげればよかったと後からは思うのだが、まさにその時は、声をかけていなかった。実は面倒な相談を無意識に避けていたのかもしれない。
ここにも困難の本当の困難がある。
一方、(3)の方法は、困難から自分を遠ざけることである。言い方を変えれば逃げ出してしまうこと。誰かに解決を委ねてしまうこと。これは人によっては、自分の心を壊してしまうくらいなら、そのほうがいいと勧める場合もある。
企業の経営での失敗ではよく使われるし、よく見かける、耳にする方法でもある。引責辞任というやつだ。
実際、このほうがうまくいく場合も多い。後任者は、自分の原因でないので、割り切って問題の解決に専念すればよいし、最悪でも(4)のほうにいってしまえばいいのであるから。
実は困難解決の最大の障害は、困難を回避してしまうことから生じる。逃げ出して当面の困難は避けられるのだが、困難を回避して逃げたという事実はつきまとう。特に日本の場合は、失敗して逃げたということで、いつまでも後ろ指を刺されたり、本人の後悔も長引いてトラウマになったまま、ずっと立ち直れないことにもなる。
困難後の本当の困難の一つである。
困難から逃げたという事実を作らない方法は、(4)困難そのものを排除してしまうことである。例えば、企画やプロジェクトそのものを潰してしまう、例えば、製品そのものを廃盤にしてしまう、例えば、会社自体を閉じてしまう等々。これなら、逃げるような見え方はしていないし、前向きな撤退などということもできる。しかし、企画や製品や会社は、単独では成り立っていない。撤退によって、周囲の利害関係者に大きな迷惑をかけることになる。実は、撤退は、いってみれば、個人の逃避を組織にあてはめただけで、当事者の顔を覆い隠しているだけで、当事者だけが名誉ある撤退と胸を張っているだけで、利害関係者の後始末はいい迷惑ですごく大変であろう。
困難排除の本当の困難はここにある。