【毒】20171013 みんなナイーブに無邪気に偏る
自分のとってはショッキングだが、他の人にはそうでもなかったり、聞きたくない情報である場合もある。体調情報などがそうだ。しかし、「貴方の病気はある朝突然そのまま二度と起きられなくなってしまう場合があります」などと言われてしまえば、いろいろ考えるし思うことも変わって来る。
そんな体調になったからだろうか。。。
気のせいか俯瞰できるようになってきた
ナイーブに否定する人も無邪気に肯定する人も、彼らの「実際の行動」はSNSに書き込みしているだけだ。それには気付いているのか気付かないのか関係ないのかは定かではないが、否定派は否定する情報だけを受け入れてまとめて発信するし、肯定派は肯定する情報だけを受け入れてまとめて発信するので、どうしても内容は偏ってくるし、それらを見ている人もどちらかに偏る傾向にある。
ただ、周囲がそういう人になればなるほど俯瞰できるようにもなってくる。
俯瞰できると冷めてくる
そしてそんな安全地帯で血眼になって発信しているだけのことの意味のなさに気付いて自分の職務や個人的な出来事に関することだけを発信する傾向に変わって行くので、それはそれでますますある種別の偏りが顕著になってきて、やがて「こいつは平和ボケなやつだ」と思われてブロックされたり、こいつはやけに左寄りだ右寄りだと思われてブロックされる。結果、ますますそれぞれのタイムラインは偏りが顕著になってくる。
中にはフェイクも紛れている
タイムラインに表示されてくる情報は友達の誰かが”いいね”したものやシェアしたものが中心だ。だから少なくとも自分がなんらかの関わりがある人、言い換えるとなんらかの信頼関係がある人からの発信情報ではあるのだが、その人がフェイクに気がつかなかったり、知らずに偏った考えに浸ってしまっている場合もある。偏りはフェイクではないが、極端であることは対局を知らず知らずに排除している場合もある。そういう意味で”偏っている”ことを知らない人にとってはフェイクだ。
「これこそが本物」と言葉でいえばいうほどフェイクであったという事例は多々ある。だからフェイクを自分で見極める、あるいは、その対局の立ち位置や意見の存在を意識して、見極めなければいけない。それはもう各個人の果たさなければならないことだ。
それなりの立場の人々が、フェイクも含まれている偏った情報を重大な情報としてSNSごときでシェアしてくるのを日々タイムラインで見せられていると「何言ってんだろう」と思ってしまう。そして自分の発信情報も彼らから見れば無邪気にナイーブに偏った情報に騙されている情報弱者のタイムラインとして「何言ってんだろう」と非表示にされているに違いない。
そしてみんなも私もナイーブに無邪気に偏り、ますます情報は偏っていく。