半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

株式会社ODR Room Network

このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、台湾たまにロードレーサーの話題など、半蔵門やたまプラーザ付近を歩きながら雑談するように。

立場のある人に願いたい

立場のある人に願いたい【御散歩雑談】 20220917

 

今日はマイナスモード。

それなりに"立場のある人"たちがSNSで偏った分析やコメントを述べているのを目にする。

立場のある人たちがSNSで偏った分析やコメント

最近のSNSやら見ているとそれなりに立場のある人たちの偏った分析やコメントに触れてばかりだ。とはいっても自分のこのコメントも偏った意見の表れかもしれないが。自分がイライラしているのは立場のある人の意見が自分の意見と違うから気に触るのだろう。たぶんそう。

意見の違いは仕方がない。人それぞれ。

気になるのは、どうしてそんなに偏ったことを発信するのだろうかと。ただ、だからといってSNSでやりあう書き込みをするつもりはない。何より心が疲弊してしまうし、時間も使いたくないし、そんな文字のやりとりはなにも変えないだろうから。情けない気分になるだけだ。文字で刹那的に反射的に書き込んで意見表明すること、それしかできないことが情けない。

”いいね”やアクセス数は何かを変えていけるのだろうか

これらの書き込みやそこにつく”いいね”やアクセス数は何かを変えていけるのだろうか。何かの意見も所謂(いわゆる)マスコミが編集して発信する記事の範囲で得られた情報をベースにしたもの。裏を取ろうにも取材にいけるわけでもなく得られるのは記事に反応した同じようなSNSの中にいる正体不明の人の意見くらいしかないのだ。それも自分の好きな意見を集めがちで偏りを増幅し、増幅すればするほど自分と違う意見の人々にはイライラを募らせる。

”偏ったこと”を”偏っていない程”で主張するのは

それなりの立場の人も自分の主義主張考えがあっていい。しかし、自分の発言がそれなりの影響を持ってもしかすると世論の一部を形成して今後の日常の日本のアジアの世界の動きの一部になることを考えると、立場のある人であれば”偏ったこと”を”偏っていない程”で主張するのは控えるべきだと思う。せめて、署名入りのブログなどのレベルにはまとめて発表してそこで意見を受け付けて。。。いや、それもいらないか。そこで短絡的な反応を打ち返すのも建設的なのかどうかわからない。

 

考えたいのは、どの主張にも2面性があること

考えたいのは、どの意見、どの施策、どの主張にも2面性があること。

右は左があるから右だ。上があるから下。自由を極めれば無法になってしまうから規制が必要で、安定を望むのは不安定の上にいる不安に耐えられないからで、安定にどっぷり浸かると停滞を感じ取り、変化を求めるようになる。それら2面性を考え始めるとどちらか寄りの意見を発するのに躊躇する。

 

それともそれこそが言論の自由か。自由な風潮なのか。自由でなんでもいえる世界だからそれを守るんだという主張は目的と手段を履き違えていないのか。

 

自分を振り返れば、情けない気分になることしかできないことが情けない。

 

空を見ると台風が近くまで来ているようだ。