【半蔵門ビジネストーク】20171107 ライフのような喫茶店で深夜まで意味のない人生論を語ったあの日
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「車が来ない赤信号の交差点を無視して渡ってよいか問題」
が語られていて、高校時代に不良を気取った友達と深夜まで喫茶店でそんな問題を哲学のように語り合った日々を思い出した。中島みゆきの名曲「店の名はライフ」のようなあんな日々の思い出だ。
案の定、このテーマはみんな同じような体験や考えの経験があるようで、検索すると沢山見つかる。
車が来ない赤信号の交差点を無視して渡ってよいか問題いろいろ
車が来ない赤信号の交差点を無視して渡ってよいか問題いろいろ
- 信号は交通法規にのっとって設置されていて守ることに意義がある。だから守らなきゃダメ
- でも、交通法規は人々の安全のためにある。安全が確認できているのなら、渡ってもよい
- 安全が自分レベルで確認できていたとしてもそれが完璧でない可能性はある。その結果事故に繋がり相手の保険が使われ、相手や自分の周囲が迷惑することになるのはどうか
- 見えていないところで子供が見ているかもしれない。子供は素直で信号を守らなくてもよいと理解してしまうかもしない。その責任がある。
。。。
などと答えの出ない議論で意義を感じていた(のかもしれない)
青信号なのだから安全だ・・・なのか?
大人になってまたその続きを問うている。そして観察して思う。
「安全のために赤信号を守るのだ」に拘りすぎると、盲目的に「青信号なのだから安全だ、安心して渡ってよい」という考えに繋がる。
事実、青信号の交差点を携帯画面に見入って渡る人の多いことよ。
ヘタをすると子供を連れながらだったりもする。
交通法規に100%寄りかかれるのは、他の全員が100%その法規を守りきったときにだけ可能である。自分以外はすべて平和を愛する人々を前提としているようにはいかないのだ。
「信号守れ」の勘違い
狭い道路だと信号を待つのももどかしい。しかし、赤信号の交差点を堂々と渡るのも気が引ける。子供も見ている。すると、赤信号の交差点の横断歩道をちょっと外れた道路を横断する人々の多いことよ。実際には、交通法規違反だが、交差点の信号を守れ教育の弊害なのか、安全を自分で確認しつつこれをやってしまう大人たちは多い。
ベトナムで、信号は”いる?”のかと一瞬思った
ベトナムで目撃し体験したこと。信号がなくても事故が少ないのだ。
信号がなくてもどうにかなるんじゃないかとも思った。ただし、スピードは犠牲になる。物流速度や移動速度は遅くなる。それを我慢できるか。経済的に吸収できるか。
のんびりいこうよ〜おっれぇ〜たっちぃ〜は〜♪に戻れるか?