人生とは「今日1日」のことである by 野村克也【半蔵門ビジネス雑談】20200317
野村監督が亡くなった。2月のことだった。享年84歳。まだまだと思っていたが、後日、金田監督のお別れ会の映像では、車椅子に乗っていたのをみて、ああそうだったのかと思った。
野球監督としての試合後のインタビューが好きだった。
ヌッと現れて、一言発する。ピリっとした言葉もあり、ニヤリとさせる一言もあった。それ以外にもたくさんの名言がある。野球監督でこれだけの言葉を残しているのはあまり聞かない。
このリンクの最初にある、
「考えることを放棄すると全てが幼稚になる」というのは、考えオタクと言われていた自分としては、我が意を得たり、と思ったものだ。
中でも、自分が一番好きだったのは、腑に落ちたのは、
「人生とは今日1日のことである」
それは最近特に思う。
単に寿命とか突然死とか事故死のことではない。何かをやろうと思ったとして、今日、まさに今日から、少しでも動かなければ何も変化はないのである。人生とは、明日から死ぬまでではない。今日から死ぬまでの例えば20年でもない。明日からと思ったら今日は動かないし、20年あると思ったら明日も動きそうにない。
「どうしようかと考えているんだ」という人がいる。
でも、それは「どうしようかと考えている」時点で、考えているだけで、何もまだ「して」いない。それは、とりあえず何もしないことを決定した上で、考えているだけだ。今日1日は何もしないと決めて考えている。「考えているということ」をしているのかもしれないが、やろうとしたことは、少なからず、誰かに、周囲に、世の中に、関係することなのだ。だから、考えを少なくともアウトプットして誰かの目に、耳に、晒すことだけはしなくてはならないのだ。
と思っている。
人生とはまさに今、今から、今日1日のことなのだ。