”空気を共有する”というが何を共有しているのか【たまプラビジネス余談放談】20211209
よく聞くのは、「仕事を円滑に進めるためにはやはり空気を共有しないとね」っていうやつ。
確かに物理的に同じエリアの空気を、酸素を吸って、まさに空気を共有しているのだろうが、それで仕事が円滑に進むというのは、一体何を共有しているのだろうか。
まさに空気の共有で物事がうまく進むのか?まさかねぇ
同じ場所の同じ成分の空気を吸ったから気持ちも一つになって物事がうまく進むのか?
仕事につながる何か?
「共有した空気」というのは過ごした時間のことか?それだけでうまくいくようになるのかな。
あるいは、お互いの、その場にいるメンバーの雰囲気や様子がよくわかるからなのか。
例えば、「はい」といいながら実はいやそうな顔をしているのがわかるから、ため息を聞き取れるから、頼み方や範囲を変えるなどの調整をすることができるから、怒りを匂わせる鼻息を感じとる、微妙に尻込みする様子や微細な動きを感じ取れるから、これも調整を図ることができるということなのかもしれない。そういう調整の結果うまくいくということ?だから空気を共有すると、仕事が円滑に流れるのだろうか。
web会議で、映像を経由すると画角が限られ、見えない範囲も多い。
文字だけだと頼むほうも断るほうも見えない範囲のボディーランゲージ、音、息遣いは読み取れない。
頼まれる方からすると、ため息で拒否したのに感じとってもらえず、かといって明確に断ることができず、渋々とやることになって結果うまく進まなくなる。
頼む方から見ると、頼むよわかるだろ?的な言わずもがなの言外プレッシャーを読み取らせて察してやらせることも難しくなる。
こうして考えると、「空気を読み取る」のは、隠れブラックを生み出すようだ。そうではない明確な意思表示と理解で進める仕事にしたいものだ。
手間はかかるだろう、コミュニケーションにパワーを使うだろう。でも、空気を共有しない方が健全かもしれない。