育成はジレンマだ【たまプラビジネス余談放談】20220207
その昔まあまあ中堅の企業にいた。業務の一環で部下の育成も大事な役目。新入社員を育てて、部下として組織人として使えるようにする。それが組織を維持拡大するための重要な仕事、組織の意義そのものといってもいいだろう。
社員数千人下での育成ツリー
最初に任された部門はHP黎明期の開発部門で、ITとデザイン両方の技術とセンスが必要で、その業界では前例が少ない。当然教育方法も確立されていなかった。
試行錯誤で辿り着いたのは、「自分ブランドで仕事をしろ」ということ。会社名ではなく、個人名で指名買いされるように勉強していくように。
結果はうまく行った。
うまくいきすぎた。
仕事は順調に大手企業からもHPを受注し、仕事は指名でくるようにもなり、やがて、それらの技術者やデザイナーは、独立し、引き抜かれ、フリーとなってしまった。仕事そのものは企業で受注していたので残ったが、「彼にデザインを」という指名となり、今でも彼らはその仕事を外注先として請け負っている。
しかし、企業内の育成のつながりは途絶えてしまった。
ベンチャーで育成を側から眺める
その後ベンチャーの役員となった。もう個別の案件に直接関わり、エンジニアに直接指示を出すことはなくなった。それは個別の育成担当がなくなったことでもある。小さなベンチャーは自由な分、組織の求心力はまだない。朝礼が行われていた。持ち回りでスピーチをする。私の順番の日には「話が校長先生のようです。」と笑われたのか、疎まれたのか、親しまれたのか、いまだにわからない。育成ツリーを傍から眺めるだけだ。
小さな会社
さらにその後、会社を始める。企業の社員時代とは関わりも違い、利害も大きくからむ。育成の真っ只中でもあるし、出入りも激しく、まったく育てる機会がないこともある。育てる暇もなくなる。そして誰も育てていないことが、60歳を超えるととても寂しくなってくる。それはなんだか育成ツリーから外れてしまったような寂しさ。子育ても終わり、孫育てにも直接手出しもナニかなというところか。
育成の今ではなく、昔の育成の結果を思い出として話す立場になってしまった。
育成からの卒業という役割
育成者の卒業もまた育成サイクルの一つだった。部下を育成すればリーダーが自然に育つのではない。だから部下の育成とともにリーダーの育成も別のものとして必要なのだ。