育てる【半蔵門ビジネス雑談】20210913
訪問リハビリをお願いしている民間の訪問看護ステーションからやってくる理学療法士は概ね若い。大きな病院から転職してきたという2人の男性が同じような質問をしてきた。
「万代さんから見て、出世する人はどういうタイプの人か?」
もう一人は、
「(組織の)上に行くためには何が重要なのか?」
という問いだった。さて。。。
* * *
会社員として組織に入ると、部下を育てるというのが重要な仕事となる。1〜2年目は大抵が育ててもらう立場だ。やがて後輩ができて、数年たつと部下ができる。後輩には日常的な仕事をどちらかというと個人的に教えるが、部下となると計画的に戦略的に育てろとなる。ただ思ったようにはいかない。中には自分よりも素質のある部下もいるし、転職しようとしているものもいる。そしていくら教えても飲み込みの悪いものもあるだろう。育てると言っても自分も育てるプロではない。先輩や上司から指導されたことをそれっぽく見よう見真似で伝言していくようなものだ。確かにそれで人は仕事を覚えて行くかもしれないが育てているなんて言っていいんだろうか。
自分なりに育てようとして言葉で伝えてきた。例えば、「組織の名前に頼って仕事をするな。自分品質でこだわれ。自分に指名が入るように仕事をし、顧客との関係を作っていくんだ」と育成しようとした。言葉は伝わりやがてみんな力をつけて独立する道を選んだ。組織にとっては人材を育てて失った。また新しい人材を採用し育てて繰り返していった。それは正解だったのか。
親になると、子を育てるというのが重要な役割だ。遊び、笑い、楽しみを教え、時に厳しく、時に包み込み、どんなに険悪になろうとも、朝はいってらっしゃいと送り出し、帰ってきたらまずはおかえりと声をかけた。
”ここは帰ってきていい場所なんだ”
とそれだけを教えたつもりだ。自己主張をしっかりできるように声を出して伝えることを教えたつもりだ。学校へ行き就職をし、恋をして結婚して子供ができて家族で生きていく、そして、育てた親は成長した子供達から、「勝手なことしないで」とかも言われるようになる。自分も親にそんな口をきいた記憶があるぞ。それは育てることに成功したのかと思うような思わないような。
ペットを飼うと可愛がって育てるのが楽しい。お手やお座り、伏せや、ハイタッチなんてのを覚えて、おいでといえば寄ってくる。餌箱を開けるとしっぽをふり、散歩にいくぞといえば喜んだり、逃げ出したり。でも気が付く。決して論理的に反応しているわけではないということを。パブロフの犬は条件に反射しているだけだ。感謝ではないし、尊敬でもなさそうだ。単なる動物の本能。生存戦略で行動を本能的に行なっているだけだろう。心が通い合うということもあるだろうが、育てているわけではなさそうだ。それは植物に水をやるのと一緒で生存のための必要なものを与えているに過ぎないんじゃないかと寂しい考えが頭を擡げる。
育ててやってる?烏滸がましいと思えてくる。
* * *
さて。
最初の二人の質問にどう答えたか?
「僕は人を見る目がなくてね。こいつダメだと思う人が成功し、こいつはキレものだと思った人が意外と普通の道を行ってる」
と誤魔化した。
実際、その人のある時点の振る舞いや実績から将来を見通すのは難しい。だから、私は、「育てる」なんて烏滸がましいと思っている。
人は、自分で「育つ」のだ。