やっぱり演歌は年代ものなのかもしれない【御散歩雑談】20220228
『音楽には「年代もの」と「世代もの」があるよね』
という話を友人としている。前者は、特定の年代になるとかかわるもの。後者、世代ものは、ある年代時期に同じ体験を過ごした者が共通体験としてかかわったものだ。
例えば、演歌は、年代ものだと思っていた。ある年代になると聴くようになる。が、その年代以外はあまり聴かない。ウチの親も60代になると聞き始めたように記憶している。それまでは歌謡曲をよく聴いていた。石原裕次郎とか。
対して、郷ひろみや松田聖子などのアイドル系や、よしだたくろうや井上陽水、中島みゆきなどは世代ものといえるだろう。1970年代に青春(!)を過ごした”世代”が中心的に聴いている(例外もあるだろうが)。サザンとかユーミンも世代ものだが、例外的に世代がとても広い。
音楽だけでなく、世俗的なものもそういうものがある。お酒の前後にどこにいくか。ディスコ世代、クラブ世代、麻雀世代。娘たちはダーツ世代。麻雀もするらしいが。
音楽の話題に戻る。とはいえ、今は古い曲でもネットの配信サイトでいつでも簡単に聴けるので、特定の世代ものは少なくなっているのかもしれないが。
私は多分サザン、ユーミン、たくろう、世代だ。演歌年代ではないと思っている。しかし、ウチの親のようにその年代になると演歌を聴くのかなと思っていた。しかし、今でも演歌は聴いていない。聴いてもあまりピンとこない。ピンとこなかった。
♪
ある日、運転中にラジオで演歌が流れた。その中の1フレーズ
「来た道、ゆく道〜♪」
誰か知らないが、演歌だ。
演歌年代ではないので演歌はあまりピンとこない。。。
はずだったが、今日、この演歌のこのフレーズに、ハッとした。
「来た道、ゆく道〜♪」
「来た道」。これまで、いろいろあったよな。一つ一つは語り尽くせない。でもそれでよかったんだよな。と、思っている最近の私。それらを一言で言ってくれた気がした。「来た道」そうだよな。いいことも悪いことも全て来た道に含まれる、全部包み込んでくれる。
そして、「ゆく道」。今からどれくらい生きるのかわからないが、できる限りやりつくしたい。しかし、頑張れるのだろうか、という不安もある。しかし、どんな形にせよ「ゆく道」はあるのだ。どんな「ゆく道」であっても、できる限りやりつくしたい。
それらの今の気持ちをしっかり感じさせる。「来た道、ゆく道。」のフレーズ。
響いたな。
演歌のわかる年代になったのか?私も。やっぱり演歌は年代ものなのかもしれないな。
ちなみに、ラジオでかかったこの曲の歌い手は、「純烈」だった。