地政学、大事ではないのか【たまプラビジネス余談放談】20240103
昨日の記事で紹介した「紛争でしたら八田まで」は、紛争コンサルタントの八田百合が地政学と知性を駆使して紛争を程よい落とし所に導きを解決するというセミドキュメンタルなコミックだが、中心的ノウハウとして扱われる地政学は、「学問」ではないそうな。
- 公刊されている多数の書籍の中で学者が執筆したものは、非常に少なく、
- 「地政学」を、学部名や学科名や、授業の科目名として導入している大学はほとんど存在していなくて、
- 政策論で頻繁に参照されたが、戦争の正当化につながってしまったのではないか、
- 地政学とは危険な似非学問である
という認識が広まっているそうだ。
日本においては、第二次世界大戦の前の時期に、地政学が日本独自の関心に沿った形で、政策論で頻繁に活用もされていた。
これが、戦争を正当化する理由になったとされていた。それ故、地政学は危険な似非学問だとされたのだ。
海洋国家と大陸国家では世界観が異なるのはわかる。海なし県と山なし県のように育つ環境の違いで考え方、感じ方も異なるという説にも似ている。抗えない環境による影響は操作できないという考え方もある。反対に、それに抗ってきたのが人間であるということもある。
地政学は地面や領海の話だけでなく、そこに育まれた人間の心情やプライド、歴史も関わり複雑怪奇な状況になるのは今のロシア、ウクライナ、イスラエル、パレスチナの状況を見れば容易に推察できる。
海洋国家は海に守られていると同時に陸地拡大意欲があり、大陸国家では海洋資源への渇望と隣接国の脅威、それに関連して隣国を緩衝地としたり、隣国と敵対すればその向こう側と同盟する。
海なし県には海への憧れ、海産物崇拝、海洋レジャー渇望、海の無い県の観光地ほど「美味しい刺身」が全面に出てきたり、山の無い県ほど山菜おこわが推されていたり。そういうことから何を求め、そのためにどういう拡大戦略をとるかも変わってくるというのに。地政、その学問も重要視されるべきなんではないのかな。
「紛争でしたら八田まで(1)〜(14)」お勧め。