教えない、だから自分で考えよ、しかしまず学べよ【半蔵門ビジネス雑談】20180424
以前の記事で、ひとつの正解を追い求める勉強から考える勉強へ変化している話をかいた。計算で求められるようなたったひとつの正解を求めるための勉強、そのための教育から、抜け出して行く方向になってきている。
さらに先行するデンマーク では、敎育で「教えるという概念を捨てている」という。
正解を教え、覚えるのではなく自分で考えて正解のない時代を生きて行く方法を見つけ出す手伝いをするのが教師の役目だという。先生ではなく促進者と名称も変えた。
覚えるのではなく考えて導き出し編み出す?
確かに、新たな発展のためにはそうなんだろうな。最初の記事でも取り上げた昨年の共通一次のムーミン問題などもそうだが、考えて導きだすことが求められている。。。
求められている?という書き方自体もまだ旧来の正解探しの枠組になってしまっているのか?
ところで、「教えない、自分で考えて」だけを、これまた素直に正解として追求してしまうと、確かに自分で考えて導き出すようになるかもしれないが、自分で考える内容は、大抵先人が既に試してきたことである場合も多いだろう。思いつくことが同じなのはよく体験していることだ。それだとせっかくの先人の知識を再体験していくことになり、場合によっては時間の無駄だ。だから、なんでも考えればいいというものでもなく、やっぱり土台となるのは、学ぶことではないか。だから、
教えないから、自分で考えて導き出しなさい
に加えて、
でも、まず学びなさい
だと自分で考えてみた。