【ODRピックアップ】20150419 ”国”や”会社”がって、いいたくなるけど
前々職の企画部門だった時、フレックスタイムを導入する際に、社内への周知の一環として社内報に推進記事を書いたことがありました。記事を書き上げ、上司に査閲してもらおうと持参すると、原稿用紙を一瞥した上司が凄い剣幕で怒り出しました。
「なんだこれは!!?どの時代に生きているんだ?原始共産主義社会じゃあるまいし!」
原稿の上に赤ペンで添削が書込まれましたが、あまりに怒り狂っていたせいでしょうか。何が書いてあるかわからず、あまりの剣幕に再確認することもままならず、悄々と自席に戻って書き直し。しかし、何が悪いのか解らず、しばらくしてから昔の上司だった人事部長のところに伺ってアドバイスを仰ぎました。
「たぶん、この”会社が動いた”という表現じゃないかな?」
”会社が動く”という表現は、その背景には、そこで労働している労働者(搾取される対象)から見た株式会社を始めとする営利を目的とした資本家が出資する会社組織との関係を批判するマルクス主義的な”ニオイ”がしてしまうというのです。それはそれとして一つの捉え方でしょうが、ITのベンチャーから始まった同社にとっては、そぐわない考え方の表現になってしまうということでした。まったくそうした意識、捉え方をしていなかった私は頷くと同時に頭を抱えました。
じゃあ、どうやって書こうか。。。
「それともう一つ。。。」
先輩は続けます。
「”会社”という表現は誰を、何を指しているのか?ということ、だよ」
「社長か?担当役員か?人事部長か?それとも別の何か?”会社”組織は、つまるところ人間で構成されている。”会社”規定に縛られて各人は役割を演じているんだという捉え方もあるだろう。フレックスタイム制は、より自由で効率的な働き方ができるようにするための勤務時間の制度だが、これをして”会社”が動いたというのは、私たちと同じ人間ではない”社員以外のなにか”が、”会社”という実態になっているように感じるんじゃないかな。そして、それは実は責任の不在に繋がるのではないか」
ということ。
当時、同社は若い力を活用して、国内外に積極的に事業展開し、先進的で開かれた組織運営を目指して活動していいたため、フレックスタイムにしても、管理強化にしても、それを起案して、企画して、制度化して、動かしていくのは、若い社員=あなた方、私たちだということを、ことあるごとにアピールしていました。それなのに、”会社”が動いたという表現は、なにか権力や力を持った組織=労働組合が自分たちから搾取する会社を動かしたようなニュアンスを醸し出してしまう文章になってしまっているということです。
確かに「”会社”が動いた」といってしまうと、いかにも、”労働者と対立する搾取をする巨悪的な資本家”が、労働者の力を合わせた運動によって動かされた、労働者が権利を勝ち取った的なニュアンスが感じられるのかもしれません。
「さらにいうとね。」先輩は続けます。
「実はコトはそう単純でもないんだ。フレックスタイムは、”自由な働き方”といったけど、”会社”は利潤をあげる事を使命している以上、”自由に活き活きと働いてもらって、より利潤をあげる”ということでもある。」
「あーーー!!センパイ!どう書けばいいんですかぁ〜」と、更に混乱する私。
* * *
最近のニュースなどの論調で、「”国”が怖い」とか、「”国”は何をやっているんだ?」「”国”の責任で」という言い方をよく見かけます。これはマスコミだけではなく、時に政治家自身の発言にも含まれている事があります。
ここでいう”国”は、現在の政権、内閣、官庁などでしょうが、”会社”と違って、民主主義的選挙で選ばれた議員から構成される国会と内閣、また、国家公務員でできています。議員たちは、選挙の際に投票者、即ち私たちからの信任を受けているわけですから、論理的には、国益、国民の利益のために動いている筈です。それなのに、”会社”の文脈と同じように、横暴な?不正を働く?権力の悪用?的に扱われているように感じます。これまた、無意識的に、悪いのは人間ではなくて、何か得体の知れない巨悪がいるような、錯覚を覚えてしまっているのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、”国”は実際には、一人一人の”国会議員”や”官僚”です。また、彼らを選んだ私たち一人一人です。つまり、「”国”が怖い」とか、「”国”は何をやっているんだ?」「”国”の責任で」は、”自分”が怖くて、”自分”が何をやっているんだ、”自分”の責任でということになります。
だからこそ、選挙では投票しなければいけないし、政治には関心を持たなければいけないし、間違った政策や行政には目を光らせなければいけないし、何よりも自分の目で見て、自分の頭で考えなければいけない。特定の人、メディアの報道だけに依拠してはいけないことも忘れてはいけません。
* * *
その夜は、12時前に仲間達と車でスキーに出掛ける予定でしたので、誰もいなくなったオフィスで、原稿用紙(パソコンでなかったのです)に書いては消しして、深夜の12時頃に上司の机上に提出して、やっと退社したことを覚えています。
「私をスキーに連れてって」(1987年 ホイチョイプロダクション)が上映されていたころのことでした。みんながスキーに行かなければいけないような気分になっていた時代でした。会社法も勉強していない”社員”と”従業員”も同じかと思っていた時代ですので悪しからず。