【読書/映画感想】20171102 ブラック企業に勤めております
主人公が故郷に帰って入社した企業がブラック企業だったという設定だ。5編からなる。
「会社は社会の反対だ」
「会社は社会の反対だ」という本社会議でのコメント。社会の反対だから、社会の当たり前が会社の当たり前ではなくてよいのだという解釈は笑えない。サービス残業がオカシイという風潮ならそれは会社ではおかしくない、セクハラ、パワハラ?おかしくない。会社は社会の反対だから!
パワハラで朝礼が長く、昼間は映画館でサボり、フィリピンパブのねーちゃんが会社に尋ねてきてしまう課長や、仕事しない新人、ヘマばかりの中堅社員、事務所に残された主人公にとってとんでもない会社であることは確かだ。
「あなたのお名前なんてーの?」と、支店最初の顧客の名前を適当に書いてしまって、名前を突き止めることに懸賞目当てではあるものの全員で一丸となる一体感は、ブラック企業のそれではないが、
流石に、
顧客の社印を偽造してまでサボろうとする新入社員には「働かない者はされ」といいたくなる。これはこの社員自体がブラック社員だ。ブラック企業はブラック社員がいるからブラックとなるのだ。
例え、仕事がうまくいかず「ダメ人間ですみません」と落ち込んでしまっても誠実に仕事をする社員はブラック企業はつくらないだろう。
この小説の舞台となった会社ならば、ブラック企業ではないだろう。なぜなら、コミュニケーションがとれているからだ。主人公に負荷がかかりすぎているキライはあるが。
ブラックとされる企業で問題の根源は、事実(違法行為だけに限らない。スレスレのパワハラやセクハラもだ)が隠蔽され、それをみんなが知っているにも関わらず事実の隠蔽を続け、耐えられなくなったまともな社員が壊れていくことだ。
企業は、いつ、どこからブラックになるのか。
表面化するのは、自殺者が出たり、過労死が出たりしたときだ。彼らはブラックの中に立った一人で取り残され一人で抱え込み、心は壊れマヒし、体が壊れて、壊していく。
欧米人は体が壊れる前に心神に異常をきたすので、すぐにカウンセリングを受ける。日本人は心が耐え忍び我慢しつづけ、そして胃に穴があくまで働いてしまい、耐えきれなくなって体を壊すという。そしてその時には心も壊れてしまっている。心が壊れていることに気が付かない場合が多い。
我慢をする美徳は、捨てがたいが、それが心を壊し、周囲を黒く塗り籠めて行くのだとすれば、そして本人がそれを自覚できないのなら、周囲が気にしてあげるしかない。人が人を無視しないで人に気を配ることでしか、ブラック化は防げないように思う。
同僚の発言の言葉尻にヒントがある。
「問題ありません。」問題がありませんか?と聞かれれば、小さな不満でも言おうとするのが人間の性。問題があり、それを隠していこうとする風潮がブラックに繋がって行く。
「大丈夫です。」問題がないと言えない、しかし問題があるとも言いにくいので別の言葉でいおうとする。大丈夫ですの裏には、(問題はあるが自分でなんとかするので)大丈夫ですという心理が働いている。
この2つの言葉には裏が有る場合がある。
注意されたし。