信頼は自分の器を測る、する方もされる方も【半蔵門ビジネス雑談】20180418
一緒に仕事をしていると、パートナーの予定が変わることがある。もちろん、こちらの予定もかわることがある。そういうときどうするのがいいのかを考えている。
ところで、誰かを信頼して仕事をするというのは、何を信じているのだろうか?
- 過程はどうあれ、結果を達成できればよしとするのか。
- あるいは、行動の一定の質を保つことも含めて束縛はできないが日々の行動も含めて信頼に応えるべきなのだろうか。
お金を貸したとする
結果で見るならば、返済日にキチンと返済してくれればよいと見るのか、あるいは、途中の生活や状況や稼ぎ方を見ながら、結果を達成できるかどうかを見せながら結果を達成するということも含めて信頼に応えるということになるのだろうか。
借主からすれば、「キチンと返すから途中は関与しないでくれ」という思いがあるだろう。貸主からすると、「リスク管理として、返済不能につながるような行動は抑止したい」という面もあろう。
予定を共有する
予定を共有するとその予定の変更ということも気になり出してくる。信頼して仕事を任せている場合には、そのスケジューリングまでも任せていることもある。共有予定表には入っている予定はそれを適宜確認していくのだが、時に、予定していたものが突然変更されることがある。その理由は様々だろう。体調によるものや、他の予定との整合や、相手先の都合によるもの、もちろん、プライベートな事情もありうる。
しかし、時々その理由に首をひねってしまうことがある。前日がおそらく飲酒の場だった場合だ。
変更の理由による
サラリーマン時代は、たとえ前日にどんな深酒をしようと、文字通り「這ってでも」出勤をしたものだ。時に、二日酔いで使い物にならない場合があったが、それでも、なんとか格好はついていた。そもそも給与は出勤に支払われるものだから、とにかく出勤するということになっていた。(これに対しての賛否は今はある)
しかし、そうした縛りがなくなったからといって、それを理由に顧客とのアポイントを変更してしまっていいものか?と思う。
結果だけでなく、その過程の小さな信頼も信頼を醸成し維持する要素だと思う。約束を必ず守るということではなく、約束を守れない理由がなにかというのも、信頼醸成の要素ではないのだろうか。
度重なる予定変更は、顧客に受け入れられているように見えていても、サイレントマジョリティの声は聞こえないものだ。その結果の因果関係は不明確であり、結果としては双方の不利益になる、だからこうした予定の変更を管理するべきではないかと思うし、守る努力は当然ではないかと思うのである。
期待にそぐわないと信頼を損なうというのは真実だろう。だから信頼を失うのは、期待の度合いに依存してくる。
約束を守れなかった理由も期待を維持する要素だ。場合によっては、小さな嘘も重要かもしれない。それが発覚しない限りにおいて。「仕方ない」と思ってもらえれば信頼は維持される。
でも、コミュニケーションなしに、独断で一方的に報告なしで変更するのは、やればいいんだろう的な開き直った横柄さを感じてしまう。
ただし、信頼をする側の度量もある。「細かいことを言わないで結果だけをどっしりと構えて待て」という主張もあろう。
まあ、そうかもしれないな。しかし、ムズムズする。