マチベンの事件簿 著:中安 正【読書/映画感想】20191021
ベトナム在住の友人のお父上は弁護士。マチベンだそうだ。その著書をいただいた。
裁判沙汰は、欲張りな人と間抜けな人が揃うと起こるという。どちらか片方だと発生しにくいそうだ。もし、ズルしようとする人がいても、みんなが騙されないようにすればいいし、みんなが間抜けであっても、ズルしようとする人がいなければ発生しないという。オレオレ詐欺を働こうとしても、受けるほうが注意していれば防げるし、泥棒がいてもみんながキチンと鍵をかければよい。誰も鍵をかけなくても、泥棒がいなければ空き巣被害も起きない。
もちろん、例外はあるが、言いえて妙である。
争いになるとお金の問題になる。損害を賠償してほしい場合や、賠償はいらないから誠意を見せて謝ってほしい場合、本心は誠意をみせてくれればいいのだが、それがないのでじゃあ金払えという場合もある。特に日本人は、謝ってくれればいいのに、という人は多いのではないだろうか。
しかし、諸外国では、謝ったのだから次は賠償を支払えとくる。このあたりが、日本人がやられることが多い心情の違いである。よく話に聞く米国では自動車事故でも謝らないようにと弁護士からいわれるという(最近ではアイムソーリー法というのができて、謝っても必ずしも不利にならないらしいが)そうでないと、事故の責任を認めたと主張されてしまうそうだ。
日本語に、「裁判沙汰」という言葉がある。裁判にはできれば関わらないほうがいいという意味だ。これは、裁判に関わるとたとえ自分が正義であっても面倒なやつだ、争いの好きなやつだ、と思われてしまう傾向があるといえる。特に、我々の親の世代はそういう傾向あるようだ。争いにはならないほうがいい。和をもって尊しとなす。警察沙汰と同じ感覚。でも、今後ますます国際化していく中で、丸く収めることだけでは自分が不利になることさえある。自分の正義を証明しないと正義でないと暗に認めていることになってしまうかもしれない。
いろいろな意味で裁判沙汰に親しんでおく必要はある。
この本はそんな気持ちにさせてくれる。