無計画計画 自己満足こそが自己を「自己」たらしめる【御散歩雑談】20200427
家族からふと問われた。
「仕事はいつまで(何歳まで)するのか?」
ちょうどその日に、69歳の取引先が来て雑談を交わした日だったので
「70歳かな」
となにげなく。あと約10年か。
ここ数年は、同窓生や同期生の定年時期だ。人により同じ質問に対しての答えはまちまち。大きく3類型。
1.
- きっぱりやめて悠々自適さ
2.
- まだローンがあるので働かないと
- 子供達がまだ学校なので卒業させるまではね
3.
- もう少し役に立てるのではないか
- ただ働きたい
悠々自適で引退する人は少ないようだ。
多くはお金の問題。お金の問題は働き続ける大きな理由になる。
自分も含めてもう少し働きたいという人も多い。
引退と思っていた人もしばらくすると動きたくなる人もまた多いようだ。
あくまで自分の周囲の話ね。
結果ほとんどの友人たちは働き続けている。または、働かなくてもボランティアに精を出している。みんな、なんらかの「社会」との繋がりを求めている。家族も社会だというが、家族以外の「社会」との繋がりだ。男たちはなぜかその繋がりで自分を見出す。報酬ではないのだ。もちろん報酬はその繋がりで自分の評価だから多いに越したことはないだろうが、
「お金じゃないんだよ」
という言葉もよく聞く。
強がりか?
いやそうではなくやはり「社会」との繋がりなのだ。
じゃあ、地域社会の例えば自治会での繋がりでいいじゃないかとも思うだろう。例えば私なら長い間自治会には実質参加していなかった。せいぜい、数ヶ月に1度のさわやか運動的なゴミ拾い、数年に1度の神社の清掃、そんなところだ。毎月自治会館に集まる地域新聞などの配布会には30数年で2〜3回しか代理参加しただけだ。しかも、長い間の不参加状態に今更参加するのは腰が引ける。乗り越えるべきなのかもしれないが、そこにはなんだかヘンな拘りが湧いてくる。これはあくまで自分側。
かくして、蜘蛛の糸にぶら下がるカンダタのように、仕事という手段での社会への繋がりがかすかな命綱のようになる。
* * *
「仕事はいつまで(何歳まで)するのか?」
「70歳かな」
の、70歳には計画はない。無計画という計画が細くあるだけだ。
「自己満足なのね」
そう。自己満足にすぎない。
でも、自己満足こそが自己を「自己」たらしめるのさ。