自虐・自社虐・自国虐【御散歩雑談】20200605
以前からだが、SNSのポストやコメントなどで、自分の国を悪く言う”記事”が多いと感じる。自国虐がSNSに溢れている。
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「よその国はすばらしく我が国はだめだ。」
「我が国のトップが、主要政党が、官僚がだめだからだ」
と。
批判でもない。代案らしきものもみあたらない。
いわば、「特定の誰かがだめだ」ということで引きずりおろし、それによって、自分の位置を整えようとしているようにしか見えない。
そして、そうした記事につくコメントも、
「自国がだめだ、政治がだめだ、トップがだめだ」
ということ。
これらを受けて実際に行動を起こしているのなら、それならばいい、と思う。政治家が実際の閣僚に直接に面と向かって意見を言って行動を促したり、官僚に手続きを変更するような動きをしているのならそれはいいと思う。でも、SNSで自国虐をただ書くだけなら、それはなんのためにやっているのか。けなして、貶めて、終わりか。本気でそれらを改善したいと思うなら、直接行動を起こさないのなら、SNSでの非難は、自己満足の憂さ晴らしにすぎない。
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飲み会の席で、「うちの会社はだめだ、上司がだめだ、部門がだめだ、組織がだめだ」という大声が聞こえてくる。
批判でもない。代案らしきものもみあたらない。
いわば、「特定の誰かがだめだ」ということで引きずりおろし、それによって、自分の位置を整えようとしているようにしか見えない。
そして、そうした愚痴に同調する声も、
「自社がだめだ、上司がだめだ、トップがだめだ」
ということ。
これらを受けて実際に行動を起こしているのなら、それならばいい、と思う。若手が上司に直接に面と向かって意見を言って行動を促したり、関係部門に手続きを変更するような動きをしているのならそれはいいと思う。でも、SNSや飲み会の席で自社虐をただ書くだけなら、喚くだけなら、それはなんのためにやっているのか。けなして、貶めて、終わりか。本気でそれらを改善したいと思うなら、直接行動を起こさないのなら、SNSでの非難は、飲み会での非難は、自己満足の憂さ晴らしにすぎない。
自虐もそうだ。
自分はダメ、なにもできない、ロクなやつじゃない、どうせ自分はダメだ、能力がないから、経験がないから、前に失敗したから、生まれつきのものだから。。。体系的なこと、容姿のこと、経験不足なこと、性格的なこと。。。
反省でもない。突破するためのバネにするわけでもない。
いわば、「自分がだめだ」ということで引きずりおろし、それによって、失敗しても非難されないように、自分へのいいわけを用意している。
そして、そうした自虐に周囲が、
「大丈夫だよ、あなたが悪いんじゃないよ」
と言われることを期待している。
だがみんな気がついている。こういう自虐・自社虐・自国虐は、できない、やらないためのいいわけをしているだけだってことを。いいわけで固めた上での安全地帯からの意見はずるいだけだ。
もうやめよう。自虐も、自社虐も、自国虐も。
もうやめたい。自虐的価値観を。