よしだたくろう氏の引退【御散歩雑談】20220804
1973年、”フォークの神様(貴公子だったか?)”よしだたくろうが婦女暴行監禁容疑で逮捕され出所したあと、群馬県高崎市のリサイタルを中学校サボって観に行った。結局、後に事件は嘘だったことが判明した。リサイタルでも「君去りし後」を歌う前に、収監中のことを話していたのを覚えている。「刑務所では番号で呼ばれる。僕は2号だった。おい2号!はい!と返事していた。今でも2号と聞くと、ピシっとなる。」
その後バッシングされたりもしたが、よしだたくろうは中学生の自分のヒーローだった。長髪でギター1本とブルースハープを首に下げ、弾き語りで”人生”を謳う。”日常”を謳う。結婚しようよ、今日までそして明日から、イメージの詩、おきざりにした悲しみは、ある雨の日の情景、どれもみんな好きで、自分も弾き語りができるようになった。
今年引退だという。キンキキッズとやっていた番組「ラブラブあいしてる」が一夜限り復活し、懐かしい場面の映像、いろいろなトーク、ゲスト、歌、そしてたくろうの真面目なコメント、「今の君たちに刺激を受けて恥ずかしくない曲を作ろうと思った」という言葉。最初の頃のアウトローぽい、たくろうではなく、しっかりとした文化を作ってきた、でも飾らない、たくろうがいた。あいみょんがゲストで、彼女の歌詞を誉めていたが、上っ面の言葉でないたくろう節とでもいおうか、そんな言い方は月並みすぎる言葉に感じるほど、刺さるコトを言っていた。Youtubueにあるうちに最終回を観てほしい。
たくろうの業績は疑いないが、それ以上に番組中で語られた言葉は心に残った。自分はいち会社員、ビジネスマンだったので、誰に残すわけでもないが、仕事についての話をするなら、
サラリーマンがよくいう愚痴のようなもので、「歯車になりたくない」というのがある。きっと、ノルマや納期に追われていることが不自由に感じるのだろう。自分も感じたことがある。しかし、社会にいる限り、どうしてもなんらかの歯車になる。誰かの勢いで、力で、動かされることになる。それを否定したら、お金は稼げない。社会から外れるしかたない。今の境遇での顧客からの無理な要求を歯車的に捉えることもあるが、その顧客だって消費社会の歯車である。
会社に入ろうが、起業しようが、それは経済活動である限り、お金を稼ぐわけで、つまりは、社会の中で捉えれば、影響し合う関係でいないわけにはいかない。誰かから買って誰かに売る。そういう関係だ。
歯車というと自力で動けない、誰かの力で回される、そういうふうに考えがちだが、我々は人間、自分で動ける。本当は誰かに回されるだけの歯車ではありえない。だからこう考えよう。自分は「自走する歯車」だ。誰かに回されることもあるが、自分が作用点となって誰かを、場合によっては全部を回す起点となりうるのだ。
そう。
自走する歯車になろうじゃないか。
よしだたくろうさん、あなたに影響されて今の自分があります。