個人の意見と政策【御散歩雑談】20230227
月初に首相秘書官の同性婚への発言を巡って更迭さわぎがあった。この時の秘書官の弁明だが、「完全に個人的な意見で撤回する。この立場にあるものとしてはふさわしくない」だったと理解している。
更迭の荒井首相秘書官「同性婚、社会変わる」 発言要旨と詳報(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
個人的な立場の意見であればどんな意見を持とうとそれは自由なのでその意見自体を批判するのは必要ない。しかし、「秘書官という立場での発言として政府政権の立場と違うことをいう」のは職務上ダメなので批判するならそこを追求すべき。「秘書官という立場での発言として政府政権の立場と違うことをいう」という部分である。なぜ政府の立場での発言をせず個人的な意見を述べたのか。
個人は、どんな意見を持とうと自由なはず。それを表明しようがしまいがも他人の権利を侵害したり不快な思いを抱かせなければ自由なはず。個人の意見だということなら本来は撤回もいらない。ただ秘書官という立場で発言が報道にもさらされるので、個人の意見だとしても秘書官としてインタビューされているのだからそれは表明すべきではなかった。
問題にすべきは、政権秘書官としては政権の意向に従うべきでもし個人の意見が政権方針と違ったとしてもあくまで政権方針の意見に沿うべきである。これを表明するということは政権への反旗ともとれることになる。だから政権から見れば”更迭”は適切な処遇だ。
ところで、秘書官が政策と違う個人の意見を持つことはいけないのか?
個人の意見は自由で問題は表明してしまったところなのだから、一部の批判にあるような「そんな意見(を持つことは、または、表明することは)は言語同断」というのがもし公的な立場からの批判ならその批判もまた的外れだ。個人の意見が政権と一致しなければならないとはならない。批判側も混乱してしまっている。
「どういう社会」にしたいのか。”それ”を描いて政策施策を考えデザインするべきで、諸外国から恥ずかしいというレベルの批判もまた寂しい批判。その程度か、と感じる。
どういう社会にしたいのか。それを描いて政策施策を考えデザインするべきだ。