”平和”のウタ【たまプラビジネス余談放談】20231018
たぶん本質的には争いのない世界っていうのはないんだと思う。
争いが武力紛争とは限らない。物々交換の世界であっても、なるべく少ない提供物でなるべく多くを確保しようと思うはずだ。少ない量で多くを獲得しようと思う争い。人事の採用ですら、よりよい人材をリーズナブルな人件費で確保したい。人材はなるべくたくさんの賃金を得たい。争わないように決め事、ルールを作るとなれば、それを決めるために意見の戦いになる。
ジョン・レノンが「イマジン」で歌った、”天国も地獄もない世界”を想像しても、”国なんてないんだ”と想像しても、”信じる宗教なんてないんだ”と想像しても、”所有なんてしなくていいんだ”と想像しても、「平和」はなかなか得られていない。
そりゃ想像しただけでは平和にならないだろう。それこそ原始時代だって、獲物の取り合いになっただろうし、稲作の少しでもいい土地を奪い合うことになっただろう。
全員が個人単位だったとしても小競り合いは生じるし、家族を持てば家族のために、集落になれば集落同士が、国になれば国を守ろうと、土地や食糧や水を確保するための争いになる。
音楽家たちは、ミュージシャンは、戦いの最中に歌を歌って戦争が止まるなんて、歌で直接的に平和を得られるとは思わないだろうが、期待を込めて平和のウタを創作し歌ってきた。誰かがまとめたベスト25。
一位は「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」(ビートルズ)で、「愛こそはすべて」、他にもストーンズの「ギミーシェルター」とか、マービン・ゲイの「ワッツ・ゴーイング・オン」、プラスティック・オノ・バンドの「平和を我らに」などなど有名な曲がベスト25としてあげられている。でも、こんなに沢山、みんなが、長い間歌い続けても世界全体に平和はきていない。ストーンズは、単に幼稚に”愛があれば”とは歌わずに、「戦争はすぐそこにある、が、愛もすぐそこにある」と紙一重を本質に見立てた。
あるお寺の法話で、サイババ氏が「I want Peace」という質問者に対して、
「まず”私”(I)を捨て、”欲しい”(want)を捨てれば、”平和”(peace)が残る」
と答えたという話があったそうだ。平和は勝手にはやってこない。しかし平和を望む主体は、各人であるのに、あなたが望まない、欲しなければ、平和が得られるという裏腹をどうするのか。ウタで平和を望むことすらもあきらめるのか。
仮に武力的な衝突、争いがないことを平和とするのなら、日本は敗戦後、大きな争い、衝突、戦争には巻き込まれていない。湾岸戦争も金で済ませた。いつもお金で支援してきた。自国の平和すら自国に軍隊を設けず、同盟国に守ってもらえるように、直接的なwantを避けてきたから、サイババが示唆するように”平和だけ”は得られたように見える。紛争にかかわらないで受動的に得た平和だ。それでいいのかは自問が続く。
昨今は隣国が、領海に侵入したり、周辺の争いに加担するならミサイルを打ち込むと脅されている。黙るのはIとwantを捨てているに等しい。平和は確保できるかもしれないが、それは正しくない。ウタで、発言で、Iとwantでpeaceを叫ぶのはやめてはいけない。イザという時に備える準備はやめてはいけない。
平和のために誰かの支配を受け入れるのは、サイアクだ。