ハンコ制度と茶道【半蔵門ビジネス雑談】20200803
自粛期間中、書類へのハンコを押すために出社せざるをえないという話題がでた。TVニュースなどでも取り上げられた。
一方で、法的にはハンコが契約などの成立を担保する唯一の手段ではないという見解も出された。
この見解表明は、電子契約や電子決済のシステムが進まないのは、ハンコ制度があるからだという関連事業からのクレームに対して、「いやそんなことない」と少し怒りもいれて宣言した形となっていた。
そして、7月8日、内閣府、経団連、経済同友会、日本商工会議所、IT(情報技術)やサービス業で構成される新経済連盟が、「デジタル技術の積極活用で行政手続き、ビジネス様式を速やかに再構築すべきだ」と宣言した。
制度が悪いということばかりが強調されているが、ハンコ制度の形式的なことでなく、意味合いを議論しないといけない。
- ハンコはなぜ押しているのか?本当に形式的なのか?
例えば、契約書。
契約自体は、民法上は契約書がなくても成立する。が、組織間の契約で、担当者が変わる、社長が変わる、部門長も変わる、実施責任者も変わる、どういう状況で、どういう経緯で、どういう内容で契約が成立しているのかは最重要。それを保存し、あとからでも(当事者が異動になっていても、時には誰もいなくても)契約社双方が確認できるようにするために契約書があり、それが確かに成立していることを双方が認めていることを示せるようになっていることが重要だ。
社内のりん議プロセスは、関係者の回覧と承認が処理プロセスに組み込まれ、後に混乱したときにでも経緯を掘り起こすことができる仕組みだ。
形式を整えて不確かさを消している。
- 簡単な方法もある。
例えば、印影をデジタル化して、書面の上に書き込めば印刷時には同じ見栄えの書類が作れる。これだけだと、作成者もプロセスもわからないので、作成時のファイルをメールに添付して、決裁者1に送り、決済者1はデジタル化した印影を書面に合成し保存、それを決済者2にメール添付で送り、決済者2は同じくデジタル印影を書面に合成し、最終決済者にメールで送る。最終決済者は決済用の印影を書面に合成して保存し、戻す。こうすれば、決済者も経路もタイプスタンプも残るので、あとでそれらを参照すれば、どういう状況で、どういう経緯で、どういう内容で契約が成立しているのかは、確認可能だ。
しかし別の問題として、メールを探し出すのは大変、メールを削除してしまった、PCを交換したのでメールがない、などの問題が起きないようにする必要もある。
さらに、改ざんがないか、も担保する必要がある。
メールによる履歴を徹底すれ不確かさを補える。
これも、形式を整えて不確かさを消す方法。
- 電子契約書システム
これらを一気に引き受けるのが、各社の電子契約書のシステムで、契約書は専用のプラットホーム上に置き、双方から変更、承認、タイプスタンプなどの処理をすべてそのシステム上で行う。経緯のメールを探し出す必要もなく、印紙も不要。印刷も、りん議も持ち回るのではなく、決済者は直接システムにアクセスして決済する。
見た目上の印影がどうしても手放させないなら、デジタル印影を追加すればいい。
当然新しい仕組みのために費用はかかる。でも、押印のために移動してくるより、持ち回るより、メールの保存を神経質に個別に行うより、全体でははるかに安上がりで確実なのはわかっている。
- ハンコ制度と茶道
女優 樹木希林の遺作となった「日々是好日」は、茶道を通じて、
「型から入り、あとから心を入れていく。心のために、その受け皿のために、型がある。
問題が発生しても、まず、型通り対処し、そこにあとから心を、あてはめていく。
そういう安定の取り方もあるんだ。」
そういうことを悟る。そして、
「その型があることで、社会が安定し、人々の心が安定し、生活が安定する。」
ハンコ制度はそういう意味でも日本的なのだなと思う。