半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

株式会社ODR Room Network

このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、台湾たまにロードレーサーの話題など、半蔵門やたまプラーザ付近を歩きながら雑談するように。

馬鹿と嘘の弓 著:森博嗣

馬鹿と嘘の弓 著:森博嗣【読書/映画感想】 20210408

 

森博嗣の新書版。

探偵が依頼されたある人物の観察。人物は若いホームレスで理性的で冷静な人物。しかし、彼の近くで亡くなった老人の持ち物から彼の写真、しかも探偵が依頼されたのと同じ写真が見つかった。一気に謎めく監視対象。

「人間は結局一人」なのに、「大勢の中に一緒にいることで絆の中で生かされ助け合う安心感と美しさに縛り付けられ搾取され続けることに気がつかない馬鹿」なのだという彼の人生感はどこからきたのか。だから彼は人と触れ合わずに生きるホームレスを選んだ?そんな彼も、祖母が亡くなって仕送りが途絶えたことで歪みが表面化してくる。最後には悲劇的な行動に出る。

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人間は一人だ、死んでいくのも一人だ、という。それは確かにそうだが、しかし、では、一人で生きられるのか?誰にも何にも関わらず生きるというのは、食料すら自分で採取ということになる。農業で自給自足するにしても、作物の種子はどうするのか?全て野生から育てるか?山中で、野生動物のように生きられるのか。食料は狩猟?寒さはどうしのぐ?他の動物から身を守るには?武器は?結局どこかで何かを調達=購入することになろう。調達するにはお金が必要で、それを合法的に稼ぐには仕事につかなければならず、そのためには、雇用されなければならない。雇用されるには?定住所がなければ難しい?日雇い仕事か?野宿で安全か?ホームレス狩なんてのもあるようだ。結局、誰かに関わる。頼る。助けてもらわざるを得ない。そこで自分の思いの儘に振舞っていられるか?思いの儘に振る舞う自分を受け入れてもらえるか?結局は自分を抑える、相手に合わせる、気持ちを抑制する、相手を忖度することになる。

 

主人公は警官に答える。「殺人はいけないとしている今の法律はそういう価値観のなかで作られているだけだ。自分はそれを利用しているだけだ。だから1人だけ殺して死刑になろうと思った。終身刑で刑務所にいられるようにしただけだ。そうしたら生きていける」と。

また、「殺されたのは酒を飲んで騒いでいたやつらだ。酒は安く買えるようにできている。それで酔って騒いで自由のように感じている。そういう仕組みに気がつかない馬鹿だ」と。

一瞬、この理屈に引っ張られるが、その行動をしたらダメだ。と思うだけなのは浅はかなのか。搾取に気がつかない馬鹿なのか。

 

社会につながらないと不安だ。年初に病気をした。足が不自由になった。一方、もう62歳だ。仕事から退いてもいいのではないかという周囲の声もある。だが、そうなると自分の人生の大半を過ごしたその小さな「社会」との繋がりが切れてしまう。それはまだ受け入れられない。それはおそらく自分の定義がまだ相対的にしかできないからなのだろう。