そのお金の由来を考える【御散歩雑談】20211004
ベトナム在住の友人Nさんのブログでお金の由来という話をしていた。
”Nさんと友人の関係はあるお金で始まった。そのお金にまつわるお話を娘さんの結婚式でしてあげようという。”
お金には所有の目印はない。名前も書いていない。そのお金がどういう由来でそこにあるのか、どういう稼ぎ方でそこにあるのか。考えてみれば、印のつけられないお金の由来はとても大事だと思った。
そうして考えてみると、自分は無意識にその由来でお金に意味づけをしてきたようだ。
例えば、今、
- 株式投資にまわしているお金は、18年前に大きな手術をして入院後、生命保険の重病時に出る保険金を回したものだ。九死に一生を得たある種運のあるお金という由来を投資に活かせるかもと考えたからだ。
- 経営する会社の資本金は前職の退職金を当てた。一つのビジネスとの関わりの終わりを単なる終わりにしないで次ぎのビジネスの始まりにして由来(意味)を持たせたのだ。
- 予想しないで入手できたお金は独り占めはいけないような気がして、資金に困った友人がいれば貸したりもしている。
- 給与所得は、日常生活に充てる。日常生活は、給与由来のお金で賄う。
通貨がデジタルになる時代、物理的なお金を見なくなってきている。ますます、お金の姿が見えなくなる。意味が見えにくくなる。持っている実感、使う実感がなくなる。由来を意識することで、払う意味を見出し、使う意義を熟慮し、役立てる方向を見極めることになる。